産業医の選任義務と「常時50人」の基本ルール
結論から書きます。労働安全衛生法第13条は「常時50人以上の労働者を使用する事業場」に対し、産業医の選任を義務づけています。さらに労働安全衛生規則第13条で、選任事由が発生してから14日以内の選任、所轄の労働基準監督署への遅滞ない届出が定められています。
ここで多くの人事労務担当者がつまずくのが「常時50人」という言葉の定義です。50という数字だけが独り歩きしますが、実務で重要なのは「常時」「労働者」「事業場」の3つをどう解釈するか、という点です。1つでも誤解すると、本来必要な選任を怠ったり、逆に不要な選任で予算を圧迫したりします。
義務となる項目は産業医だけではない
常時50人以上の事業場で発生する義務は、産業医の選任だけではありません。整理すると以下の5つです。
- 産業医の選任(労安法13条)
- 衛生管理者の選任(労安法12条)
- 衛生委員会の設置(労安法18条)
- ストレスチェックの年1回以上の実施(労安法66条の10)
- 定期健康診断結果報告書の労基署提出(労安規52条)
このうち、まずカウント方法で議論になるのが産業医・衛生管理者・衛生委員会の3点です。本記事では「常時50人」という共通指標を、ベンチャー・スタートアップの実務運用目線で解きほぐしていきます。
「常時雇用する労働者」の正しい数え方
労働安全衛生法上、人数カウントの対象となるのは「常時使用する労働者」です。雇用契約上の正社員に限らず、以下の条件を満たす人は全員カウント対象になります。
カウント対象となる人
| 区分 | カウント対象 | 判断のポイント |
|---|---|---|
| 正社員 | ○ | 雇用形態を問わず常時雇用 |
| 契約社員・嘱託 | ○ | 1年以上または1年以上見込みで雇用される者 |
| パート・アルバイト | ○ | 週1日以上または月8時間以上勤務 |
| 派遣労働者(派遣先) | ○ | 派遣先の事業場の人数に算入 |
| 派遣労働者(派遣元) | ○ | 派遣元の事業場の人数にも算入(両方カウント) |
| 出向者(出向先) | ○ | 実際に勤務している出向先でカウント |
| 役員(従業員兼務除く) | × | 純粋な役員は労働者ではない |
| 業務委託(個人事業主) | × | 労働者性がなければ対象外 |
ベンチャーで特に間違いやすいのは派遣労働者と業務委託の扱いです。派遣社員は派遣元・派遣先の両方でカウントするため、派遣を多用する企業ほど人数判定が早く50人に達します。一方、いわゆる「業務委託契約」のフリーランスは、実態が労働者性を満たさない限り対象外です。ただし指揮命令を受け、勤務時間の管理を受け、報酬が労務対価に近いなど実態が雇用に近ければ労働者として扱われ、カウント対象に入る点に注意してください。
「常時」とは何を指すか
「常時」とは、特定の日に瞬間的に50人を超えたかどうかではなく、過去の実績および向こう1年間の見込みとして、継続的に50人以上が雇用されている状態を指します。行政解釈の運用では、概ね次のような判断軸が使われます。
- 過去6ヶ月の平均労働者数が50人以上
- または今後6ヶ月〜1年の見込みで50人以上が継続
- 季節的な短期繁忙期(数週間)だけ50人を超えるケースは「常時」に該当しないと解される
急成長中のベンチャーでは「先月48人、今月53人、来月の入社で60人到達見込み」というケースが頻発します。この場合、月次の数字が50人を超えた瞬間ではなく、「向こう1年継続して50人以上が見込まれる」と判断できる時点で常時50人到達と扱うのが安全です。判断に迷うときは、所轄労基署または産業保健総合支援センターに相談すれば中立的な意見が得られます。
事業場単位の判定と複数拠点の扱い
「常時50人」の判定で最も誤解されやすいのが「事業場単位で見る」というルールです。会社全体の総従業員数ではなく、事業場ごとに別々にカウントします。
事業場の単位とは
「事業場」とは、労働安全衛生法上、場所的に独立し、組織的に独立した一つの活動単位を指します。具体的には以下のような単位を想定します。
- 本社オフィス(東京・渋谷)
- 支店オフィス(大阪・本町)
- 工場(愛知・小牧)
- 物流センター(千葉・市川)
- コールセンター(福岡・博多)
同じ会社であっても、これらは別の事業場として個別にカウントします。たとえば本社60人、大阪支店30人、福岡支店10人の合計100人の会社であっても、産業医選任義務が発生するのは本社の1事業場のみです。大阪支店・福岡支店はそれぞれ50人未満なので法定義務はかかりません。
同一場所・同一組織で別事業場と扱える条件
逆に、たとえ住所が違っても、組織的に一体運営されている小規模な拠点は1つの事業場として扱われる場合があります。判断基準は次の4点です。
- 場所的独立性(物理的に明らかに離れているか)
- 組織的独立性(独自の責任者・勤怠管理・経理体制があるか)
- 業務独立性(独立した業務目的・成果単位を持つか)
- 労働条件管理の独立性(独自の就業規則運用や人事評価があるか)
たとえば「本社ビルの隣に増築した別棟」は基本的に1事業場、「同じ駅前ビルの別フロアに常駐スタッフ3名のみで切り離して管理しているサテライト」は規模が小さければ本社事業場に包含、というのが実務的な扱いになります。
50人到達の見極めと49人運用の境界線
急成長フェーズのベンチャーでは「いつ常時50人と判定すべきか」「49人で運用し続けるのは違法か」という質問が必ず出ます。両方の論点を実務目線で整理します。
50人到達の見極め方(3ステップ)
- 過去6ヶ月の月末労働者数を時系列で並べる。45・47・49・50・52・54のような上昇トレンドが見えれば、3ヶ月以内に常時50人到達と判定すべきです。
- 採用計画と退職予定を加味した3〜6ヶ月先の予測を作る。経営会議の採用ピッチ資料や人員計画書から、向こう半年の純増見込みを引きます。
- 3ヶ月連続で50人以上、かつ4ヶ月目以降も50人を割らない見込みであれば「常時50人」と判定し、その時点から14日以内の選任・届出を進めるのが安全です。
49人で運用する「グレーゾーン戦略」のリスク
採用計画を意図的に止めて49人で踏みとどまる、という運用は法律違反ではありませんが現実的ではありません。理由は3つです。
- 退職や産休などで実働数が変動した場合、復帰タイミングで一時的に50人を超えがち。
- 事業計画上の採用必要数を抑え続けると、競合との成長速度差が経営リスクに転化する。
- 50人到達後14日以内の選任は、産業医候補との面談・契約・労基署届出を逆算すると実質3〜4週間の準備期間しかなく、後手に回ると違反状態が長期化する。
実務的には、40〜45人到達時点で産業医探しを始め、50人到達と同時に契約締結できる体制を組むのが標準です。とくに産業医探しは候補医師との面談・業務範囲のすり合わせ・契約条件確認に1〜2ヶ月かかるケースが多く、50人到達後に動き出すと14日以内の選任が間に合わなくなります。
違反時の罰則と労基署対応
産業医未選任は50万円以下の罰金(労安法120条)が法定の罰則です。実務上は、未選任が即座に罰金につながるケースは少なく、労基署からの是正勧告→改善報告書提出→数ヶ月以内の選任完了、という流れが一般的です。ただし、長時間労働や労災が発生していて産業医未選任が重なると、是正勧告の温度感が大きく上がります。
当社では、現状の従業員数と採用計画をうかがった上で、「いつ・どのタイミングで産業医契約を始めるべきか」を逆算してお伝えしています。価格は料金プランページに記載のとおり、月額55,000円〜のライトプランから選任要件を満たせます。
業種別の補足と、よくあるカウント間違い
業種固有の取り扱いと、当社が相談を受ける中で頻発するカウント間違いを整理しておきます。
建設業の元請・下請
建設業は労働安全衛生法上、元請が工事現場全体の労働者を統括する責任を負うため、自社雇用の労働者数だけでなく、下請業者の労働者を含めた人数で安全衛生体制を構築する義務があります(統括安全衛生責任者の選任など)。ただし、産業医選任の50人カウントは「自社の事業場」としての労働者数で行うのが原則です。複数現場を抱える建設業の本社事業場では、現場ではなく本社に所属する労働者(管理部門・営業・設計など)で50人を超えるかどうかを判定します。
支店・営業所の小規模事業場
支店・営業所が10〜20名規模で点在する企業の場合、各拠点単独では50人未満のため、産業医選任義務は本社のみに発生する、というケースが大半です。ただし、健康診断・ストレスチェックの実施は労働者数に関係なく雇用主側の義務であるため、各拠点でも実施計画を作る必要があります。
リモートワーク中心の組織
本社所在地は登記上の住所のみで、社員のほとんどがフルリモート勤務、というベンチャーが増えています。この場合の「事業場」をどう捉えるかは行政解釈が確立しておらず、実務上は「指揮命令系統の中心となるオフィス」を1事業場として全リモート社員を含めてカウントするのが標準的です。リモート社員に対しても職場巡視に相当するヒアリングや、オンライン面談での健康相談を実施することが求められます。
よくあるカウント間違い5選
- 業務委託のフリーランスを全員カウント対象外と即断する(指揮命令の実態次第ではカウント対象)。
- 休職中の社員をカウントから除外する(雇用関係が継続している限りカウント対象)。
- 派遣社員を派遣先でカウントしない(派遣先・派遣元の双方でカウント対象)。
- 本社・支店を合算して全社人数で50人と判定する(事業場単位での判定が原則)。
- 役員兼務の従業員を「役員」としてカウント外に置く(従業員部分の労働者性で判定)。
50人到達直前にやるべき準備チェック
40〜45人を超えたら、以下の準備を並行して進めます。50人到達と同時に法定義務を満たせる状態を作るのがゴールです。
3ヶ月前にやること
- 産業医紹介サービスへの問い合わせ、候補医師との面談3〜5名と比較。
- 衛生管理者を社内から1名選任予定者として決定し、必要に応じて衛生管理者免許試験の受験準備。
- 衛生委員会のメンバー候補を選定(議長・産業医・衛生管理者・労働者代表を含む構成)。
1ヶ月前にやること
- 産業医契約書の最終確認、業務範囲・訪問頻度・料金の合意。
- 衛生委員会の運営規程・議事録テンプレートの整備、初回開催日の決定。
- ストレスチェック実施計画書のドラフト、実施事業者(医療機関・産業医)の選定。
50人到達後14日以内にやること
- 産業医選任、所轄労基署へ「産業医選任報告」を提出。
- 衛生管理者選任、同じく「衛生管理者選任報告」を提出。
- 第1回衛生委員会の開催と議事録作成、社内周知。
準備フローの詳細は「従業員50人を超えたら何をする?産業医選任14日以内の完全チェックリスト」でも段階的に解説しています。あわせて確認してください。